女優・篠原涼子さんがどんな環境で育ったのか気になるところですが、父親はヤクザで、母親は事故死していないという噂です。
篠原涼子さんがどんな生い立ちなのか、調べてみました!
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篠原涼子の父はヤクザで母は事故死!?

大女優である篠原涼子さんの家族構成は父親・母親・兄・姉の5人家族です。
どうやら、父親はヤクザだったという噂があります!
母親も事故死しているという話もあります。
二つのことが本当なのか、また、関係しているのか見ていきましょう。
篠原涼子の父親

篠原涼子さんの父親がヤクザという噂がでた理由として考えられるのは
Yahoo知恵袋などに、「篠原涼子の父親がヤクザなのか」という質問がいくつかあったためです。
そこから“父親はヤクザ”と噂が広がっていたようです。


しかし、篠原涼子さんの父親は元コックで、寝具のセールスマンとしても働いていた方です。
お名前は「篠原勝雄(しのはらかつお)」さんといい、1939年生まれということもわかっています。
このように職にしっかり就いていたような父親ですので、
ヤクザというのは噂であると思います。
また、後に述べますが、篠原涼子さんは学生時代にイジメにも遭います。
父親がヤクザであれば、いじめられる可能性も低いのではないでしょうか。
芸能人はヤクザと繋がりがあると言われやすいので、そういったことも相まって
篠原涼子さんの父親がヤクザという噂が出たのかもしれません。
篠原涼子の父親とのエピソード
篠原涼子さんを育て上げた父親は恐らく一般の方のようです。
篠原涼子さんが得意とする料理は、元コックの父親譲りなんだそう!
そんな父親のエピソードをご紹介します。
父親とのエピソード①:篠原涼子を献身的にサポート

中学生になった篠原涼子さんは歌手に憧れ、オーディションを受け始めます。
父親は娘の「歌手になりたい」という夢を応援し、オーディションに着ていく服は毎回必ずチェック。
篠原涼子さんの脚に切り傷ができたときには、「傷が残ったら芸能界にはいったときに、変な脚だっていわれちゃうから」と、毎晩脚にクリームを塗ってくれたそうです。
履歴書も一緒に作成し、顔写真はどれが1番可愛く写っているかを選ぶなど
献身的にサポートしてくれていたそうです。
父親とのエピソード②:厳しい躾

篠原涼子さんが大ブレイクした後、父親は以前よりも厳しくなったそうです。
というのも、売れた篠原涼子さんが調子に乗ってしまわないよう
「いい気になるなよ。いまあるのはスタッフのおかげ。感謝しなくちゃ」と言い聞かせ
“謙虚な姿勢を忘れないように”と教えてくれていたそうです。
篠原涼子さんがデビュー当時からずっと活躍しているのは、父親の教えがあったからかもしれませんね。
父親とのエピソード③:パチンコ店で大盤振る舞い

篠原涼子さんの父親は大のパチンコ好きなんだそうです。
そんな父親がパチンコ店に行った際、篠原涼子さんの曲がお店でかかると嬉しくなり
お店中のお客さんにジュースをご馳走したことがあったそうです。
かなりの金額になっていたそうですが、それだけ篠原涼子さんの活躍が嬉しかったんですね!
篠原涼子さんへの厳しい躾とは違い、娘の成長を喜ぶ姿がとてもいいなと思いました。
父親とのエピソード④:結婚への反対

いつも応援してくれていた父親ですが、篠原涼子さんが25歳年上の市村正親さんと結婚するという際には、強く反対したそうです。
市村正親さんは父親と同年代であり、離婚歴もあることから反対していたようです。
その気持ちもすごくわかりますよね。
しかし、“早く孫の顔を見せること”などを条件に結婚を許してもらっています。
こうして篠原涼子さん達は2005年に結婚し、2008年に長男を出産。
“早く孫の顔を見せる”という父親との約束を果たし、後2010年8月14日に篠原涼子さんの地元・群馬県で結婚披露宴を挙げています。
篠原涼子さんのウェディングドレス姿を見た父親は涙し、
その3日後、71歳の若さでお亡くなりになりました。
以前から肝臓疾患を患っていたそうです。
篠原涼子さんは父親について
「父は1番のファンであり、よき理解者だった」と話し
いつも味方でいてくれた父親のことを、とても尊敬していたと明かしています。
篠原涼子の母親

篠原涼子さんの実の母親は2歳の頃に交通事故により、命を落としています。
父親がヤクザという噂とは、そもそも父親がヤクザではありませんので全く関係がないようですね。
母親が亡くなったときはまだ物心つく前だったため、篠原涼子さんは母親の記憶はほとんどないそうです。
母親が亡くなってからは父親一人で子ども3人を育て上げています。
家事などはもちろん、裁縫なども父親がしてくれていたそうです。

篠原涼子さんが小学校6年生のときに父親が再婚し、継母ができました。
スナックを経営していた方だそうです。
父親の再婚を機に、篠原涼子さんはヤンチャになった時期もあったそう。
しかし、歌手を目指していた篠原涼子さんは、継母が経営するスナックのお店でよく歌の練習をしていたそうです。
現在の関係性はわかりませんが、継母も篠原涼子さんの夢を応援してくれていたのかもしれません。
篠原涼子の現在までの壮絶な生い立ちまとめ

篠原涼子さんは1973年8月13日に群馬県桐生市で生まれています。
母親を幼い頃に亡くし、父親・兄姉とともに育ってきた篠原涼子さんの生い立ちをご紹介します。
篠原涼子の小学校時代

篠原涼子さんは「桐生市立広沢小学校」出身です。
周りは自然に囲まれており、幼いころは河原で虫取りやかくれんぼ、市民プールなどで遊んでいたそうです。
家族との思い出も、川に入って石を拾ったことやバーベキューなど自然での遊びが多いようです。
おてんばだった篠原涼子さんは男の子を手下にして遊んでいた頃もあり、男の子の真似をして立ちションに挑戦したことも。

しかし、そんな篠原涼子さんも“家が貧しい”ということを理由に、いじめられたこともあったそうです。
篠原涼子さんが不登校になることはなかったようですが、辛い時期であったことは間違いないと思います。
また、同じころ篠原涼子さんは中森明菜さんに憧れ、そのころから「歌手になる」という夢を持ち始めます!
篠原涼子の中学校時代

篠原涼子さんの中学校は「桐生市立広沢中学校」です。
中森明菜さんに憧れていた篠原涼子さんは、中学生の頃から多くのオーディションを受け始めています。
しかし、小学校6年のとき父親が再婚し、中学生のときはよく不良グループと行動を共にしていました。
髪の毛の脱色をし、失敗して緑色になってしまったことで先輩から呼び出され、しめられたという話も。
当時のことを篠原涼子さんは「黒歴史」とも言っています。

ですが、中学校生活はどうやら充実していたようです。
部活は中学1年のときは陸上部、2年のときはテニス部、3年では創作ダンス部に所属し、多くの経験をしています。
また、中学1年生のときに初めての彼氏ができました。
お相手は学校の先輩です。
ファーストキスのお相手だそうですよ!
中学2年生のときには部活の大会で知り合った他校の男子に一目ぼれ。
篠原涼子さんから告白し、交際したそうです。
家でのストレスなどを上手く学校で発散していたようにも見えますね。
篠原涼子の高校時代

篠原涼子さんは「桐生第一高校」へ進学しています。
偏差値39前後の高校で、部活動が盛んな高校のようですが、当時はヤンキーもチラホラいたそうです。
篠原涼子さんも少し絡んでいたかもしれませんね。
高校進学後には、パン屋、釜飯屋、ステーキ屋などでアルバイトをしています。
しかし、入学からわずか3か月で高校を中退。
ヤンキー絡みかと思いきや、違いました。
篠原涼子さんが受け続けていた事務所のオーディションに、合格したのです!
篠原涼子さんが高校1年生の夏ごろです。
上京に伴い、高校を中退する決断をしたようです。
篠原涼子さんは中退に対して一切迷いはなかったようで、それよりも早く稼ぎたいという気持ちが大きかったそうです。
上京後、16歳のときに「東京パフォーマンスドール」というアイドルグループとしてデビュー。

当時まだまだだった篠原涼子さん達は、ゴキブリもでるたった6畳の部屋でメンバーとの共同生活を行い、布団も1枚をみんなで分け合っていたそうです。
また、事務所からの指示でデビューから半年間は、寿司屋でアルバイトをしていたとも話しています。
デビューしてからも大変な生活を送っていたようです。
篠原涼子の結婚

篠原涼子さんは2005年12月に市村正親さんとの結婚を発表しました。
二人は2001年の舞台「ハムレット」で共演し、二人は恋人役を演じています。
その後交際に発展!
結婚後には2008年に長男、2012年に次男を出産しています。
順調そうに見える結婚話ですが、ここにもやはり壮絶な出来事が…

実は二人の結婚は、「略奪婚」だったのではないかと言われています。
というのも、二人が共演した2001年の時点では、市村正親さんは女優・八重沢真美さんと結婚していたのです。
2001年の時点で夫婦関係は冷え切っていた、という話もありますが
八重沢真美さんとの結婚期間中に篠原涼子さんと交際していたのではないかという声も多くありました。
2003年市村正親さんと八重沢真美さんは、市村正親さんの不倫がきっかけとなり
19年の長い結婚生活に終止符を打つことになりました。

こういったこともあり、篠原涼子さんの父親からは市村正親さんとの結婚を反対されていました。
しかし、“孫の顔を早く見せる”という約束のもと結婚を認められ、2005年12月8日結婚しました!
二人が出会ってから4年後のことでした。
篠原涼子の離婚

篠原涼子さん夫婦は2021年7月24日離婚を発表しています。
別居報道が出た当初は、コロナ禍の対策として、と話していました。
ですが、おしどり夫婦のように言われていた二人が15年の結婚生活に終止符を打った理由とは一体…?
離婚理由を簡単にまとめると
・篠原涼子さんの自由奔放な性格
・市村正親さんとの年齢差
なんだそうです。
元々自由奔放な性格だった篠原涼子さんですが、子どものことを気にしながらも、共演者やスタッフたちと夜遊びに出掛けていたそうです。
篠原涼子さんの社交的な性格が仕事を順調にしたようですが、やはり市村正親さんとしては気になっていたそう。
夜遊びや朝帰りまでするようになったので、市村正親さんが注意したところ
篠原涼子さんから離婚を切り出されるようになってしまいました。
また、結婚当初は全く気になっていなかった篠原涼子さんと市村正親さんの年齢差。
やはり25歳という差は大きかったようです。
どうやら篠原涼子さんの中で気になり始めたようで、そこに加えて夜遊びの注意されたことも相まって、離婚が避けられないものとなってしまいました。
まとめ
今回は篠原涼子さんの両親について調べてみました!
・父親がヤクザというのは噂
・母親を幼少期に事故で亡くし、後に父親の再婚で継母ができた
・家庭環境が原因でいじめやヤンチャになったことがある
これからも篠原涼子さんの活躍を応援しています!